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覺書

中学生が妊娠教諭に嫌がらせ 愛知・半田の生徒11人「流産させる会」

愛知県半田市内の中学校で今年1月から2月にかけ、1年の男子生徒たちが妊娠中だった担任の女性教諭に対し「先生を流産させる会」を結成して、教諭の給食に異物を混ぜるなどの悪質ないたずらをしていたことが分かった。

学校によると、教諭は30代。3学期が始まった1月、席替えの決め方に対する不満や、部活動で注意されたことへの反発から、生徒ら数人が周りの生徒に声を掛けて反抗しようと計画、11人で会を結成した。

(中略)

同校の校長は「ゲーム的な感覚や友人との付き合いでしたことで、流産させようと本気に画策したわけではないと思う。命の教育を浸透させ、今後二度と起こさないようにしたい」と話している。

此の校長、ゲーム的な感覚や友人との付き合いでしたことであれば何事も許されると言つてゐる樣な物なのだが。何うやら、人間は輕い氣持ちの時に最も残虐性を發揮する、と言ふ事が分かつてゐないらしい。輕い發想だからこそ實行に移し易いのだ。本氣で畫策してゐないからこそ残虐な所業が出來て仕舞ふ、此れこそが人間の抱へる問題點なのだ。其の事實を教へられない子供に其の事が分かる筈もないだらうが。理性に基づく行動が出來ない日本人にとつては、命の教育なんかをいくら受けた所で、ゲーム的な感覚や友人との付き合いの方が優先されるに決まつてゐる――此の事件が好い例だ。普通に考へれば中學にもなつて妊婦を流産させよう何て考へるのは正氣の沙汰では無い。――。個人的には、此の事件もナチスドイツがユダヤ人の對する諸行爲も規模の大小は別として、其の發想の根幹は相通ずる物があると考へてゐる。其れは、嫌いな人間は嬲つても良い、と言ふ考へである。假令倫理的に不可しい事であつても人間はいとも簡單に正義と見做す事が出來るのだ。閑話休題。

もし、命の教育を本氣で行ふ積もりなら、人間の抱へる問題も教へた上で、輕率な行動は慎み行動する時は本氣で行動する事を諭さなければ意味が無いと思ふ。

此の半田市内の中學校では保護者同伴の上で生徒を注意したと言ふ。注意の程度が分からないけれども、餓鬼が輕い氣持ちで残虐な行為をした時に、「大人」な態度で接しても全く以て意味が無く、大人として本氣で叱らなければ不可ないと思ふ。非道に對して甘さを見せる事は、餓鬼の人格形成上有害無益でしかないのだから――餓鬼の非道を穩便に處理すると言ふ事は、要するに餓鬼の行く末を本氣で考へてはゐない、と言ふ事だ。――。其して、其れは學校がする事ではなく――教員がしては不可ない、と言ふ意味では無い。教員と言ふ立場では出來ない、と言ふ意味である。――、全ての大人がする事なのだと思ふ。


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by inagakit | 2009-03-29 02:50 | 記事雑感